Remember
Our Japanese correspondent Aiko interviewed Japanese skaters, after the disasters in NorthEastern Japan.
thanks to: NORAYA ノラヤ (NAHO YAMAMOTO) & PAJA for illustrations
by AIKO SHIMAZU 島津愛子
March 29 in Osaka, May 21 in Tokyo, June 18 in Kanazawa, September 2 in Niigata, (October 30 @ Skate Canada) 2011

☞ in English


Japan Skates では、東日本大震災で失われた命を想い、被災された皆様を支援し続ける気持ちを忘れない、ということをテーマに、日本を代表するスケーターの方々にお話を伺いました。それぞれの想い、ビデオメッセージをお届けします。


Shizuka ARAKAWA - Nobunari ODA - Fumie SUGURI - Yuzuru HANYU - Daisuke TAKAHASHI

Shizuka ARAKAWA 荒川静香さん

[2004年世界選手権・2006年トリノオリンピック金メダル]

JS: フィギュアスケートには、スポーツが持つ真実の力とアートが持つ善きこころの力がある!と信じているのですが、今はまだそれを強く主張出来ない状況に置かれていると思います。静香さんは、震災後、被災地の仙台へ行かれて国内外のチャリティーショーに参加されました。その際に思われたこと、また、今 あらためて、スポーツやショーが持つ力をどのようにお考えになっているか、お聞かせ下さい。

SA: 自分に何が出来るのか、離れていると分からない部分が多かったので、今何が求められていて・今後どういったサポートが必要なのか、それをキャッチするために、自分自身が実際に現地へ赴いてみようと思いました。そこから、何か力になれるような、支援に向けての最初の一歩が始まる、と。自分が育った親しみのある町、ふるさとがどうなってしまったのか、何が起きているのか。住んでいる人が今どうしているのか。それを知らないうちには、自分に出来る「何か」を見つけられないですし、出来ることも限られてしまいます。震災後1ヶ月経たない時期でしたので、かける言葉も見つからないような、センシティヴな状況でした。「被災者」と一口に言っても、それぞれ失ったもの傷ついたものが異なります。そういった方々の御心境を量れぬまま、何か言葉をおかけするのは難しくて。「私が行って、何が出来るんだろう、"行った"ということだけで終わるのではないか?」という心配もしていました。
——静香さんが現地へ行かれて避難所が明るくなり、灯火のようだった、と伝えられていますが。
避難所への行き方も迷いました。すべての避難所に寄らせてもらうことは出来ないからです。また、傷心の中にある皆さんにこちらの想いが伝わらないのではないのか、という不安もありました。被害を受けていない自分が行って、果たして何になるんだろう、と。「頑張って」という言葉は絶対に出したくないのに、どうしても出てしまう。その言葉しか出て来なくなってしまう⋯ 震災直後でしたので心苦しいばかりだったのですが、現地へ行って、感じたこと見つかったことがたくさんありました。ニュース等の情報から知るのではなく、皆さんと接することによって自らが感じ取ることも大切だなと感じました。

その後チャリティーのショーに参加して、フィギュアスケートを滑る人・見る人、フィギュアスケートを愛する人が集まって生み出す力はすごいなと思いました。フィギュアスケートを通じて、人々が集まる。趣味の範囲で集まるのではなく、行動を起すことで「誰かがどこかで救われる」と願って集まることは大きな力を持っているんじゃないかな、と。それが、今のフィギュアスケート界に創り出せる力です。今年行われるフィギュアスケートのショーでは、被災地に支援のこころを届ける働きかけがあります。イベントは自粛すべきではなく、イベントによって社会を活性化させていかなくてはなりません。元気のある人達が、元気のない人達に元気を送らなければ。皆が下を向くのではなく、元気のある人達が上を向いて社会を引っ張って行く力を蓄えていくべきだと思います。

離れたところで「自分に何が出来るのだろう?」と悩んだアスリートも多くいると思います。練習することに罪悪感を覚えて心を痛めたアスリートもいたと思います。自分もその一人です。しかし、「トレーニングをする」、それが今自分に出来ることなんだと捉えて、それが「いずれ誰かをどこかで救える力」になるかもしれないと願って日々の修練を積み重ねることが、アスリートに出来ることだと思います。気持ちをふさぎ込むばかりでは、救われる人は誰もいません。「何が人を救うか」と考えたときに、頑張れる力や頑張れる姿を見せること・伝えることが、スポーツの持っている役割だと思います。

震災直後は、日々自分の言動行動のすべてに気を配っていました。被災者の方々や物的な被害に遭われた方々以外にも、心に傷を負った皆さんは離れたところでも大勢いらっしゃると思います。日本全体が日常を失ってしまったと思います。けれども、日常が送れるところでは日常を送って、日常が送れないところをカバーしていかなくてはなりません。電力等抑えるべきところは抑えなければなりませんが、人が活動的にならなければ、社会全体が前を向いて進んで行くことは出来ないと思います。そういう意味で、英気ある姿を見せられるスポーツが社会に与えられる力はあるのかな、と思います。

被害を目の当たりにして、誰にでも「何かしなきゃ!」という気持ちがあったと思います。笑うことが不謹慎だという雰囲気もありました。ただ、誰かの笑顔を見ると、こちらにもまごころが伝わってきて笑顔になれるときがあります。だとしたら、笑顔を見せるべきだと思うんです。無理をして上を向いたり笑顔を作る必要はないですが、皆が下を向いても、被災者の方々が救われることもなく、何も始まりません。皆が進んで行くために、社会にエネルギーを持たせなければならないと思うのです。

一時の支援で終わらせることなく、長期的な支援が必要となります。今年来年再来年で立て直せる被害ではない状況です。5年後も10年後も支援するこころを忘れないような、そんな呼びかけをしていきたいと思っています。「今すぐに、何かしなきゃ!何かしたい!」という気持ちになりましたが、その「何か」を思い浮かべても、それが現実的とは言えず、すぐに行動に移せずにいました。しかし、どんな小さなことでもその積み重ねがひとつの形になるということを考えると、『出来る事を、出来る人が、出来る時にやる。』それが、長期的な支援に結びつくのかな、と思います。
——トリノオリンピックで金メダルを獲得・引退後からプロデュースされている静香さんのショー「Friends On Ice」では、収益金の一部を被災された地域のリンクの子供達のために活用されます。また、被災地のスケーターも招待され、特別なプログラムを用意されている、とお伺いしております。
仙台・茨城地域のリンクが今も使用出来ない状況です。当然ながら生活の復旧が優先され、スケートは後回しになってしまうのですが、スケートが出来ないことで希望を失っている子供達がいます。その子供達の大好きなスケートが彼らの生きる希望になれば、という想いで、被災したリンクの子供達と一緒に滑るナンバーを企画しました。 (JapanSkates.comの所在地)カナダには、スケートリンクが数多くあり、子供達が自由に練習出来るすばらしい環境がありますが、日本の子供達の練習環境は、そもそも恵まれてはいません。チャリティーはチャリティーでも、使途を明確にすることで、支援の手も集まりやすくなると思うのです。

☞ Shizuka ARAKAWA 荒川静香さん ビデオメッセージ on June 18, 2011

Shizuka ARAKAWA 荒川静香 © Japan Skates


Nobunari ODA 織田信成選手

[6年連続全日本表彰台, GPF表彰台3回]

JS: このたびの震災では、多くのお年寄りが被害に遭われ、特に孤立した集落では、高齢ゆえの困難な状況が続き、支援の手も行き届いていない現状です。子供はもちろん社会の宝なのですが、でも「お年寄りは祖末にしていいのか?」と思うんです。お年寄りを祖末にするのは、人生を祖末にするのと同じじゃないか、と。また、自分の子供の健康が心配だから、と水を買い占める人もいました。信成さんの、お父さんとしての取り組み、想いをお聞かせ下さい。

NO: ニュースで、ストレスでお母さんの母乳が出ない・おむつが足りていない・粉ミルクがあっても哺乳瓶がないので、紙コップで飲ませている⋯ ということを聞いて、救援物資を送りました。お年寄りに関しては、僕の意見ですが、今までお年寄りの方が日本を一生懸命支えて来られたから、今 僕たちが幸せに暮らせているのであって、お年寄りや御年配の方を敬わない、ということは、この今の当たり前の生活を祖末にしていることだと思います。赤ちゃんは、もちろんこれからの社会を担って行くために大切な存在ですけれど、これまで支えて来てくれたお年寄りの方にも、もっともっと生きてほしい、と願っています。

☞ Nobunari ODA 織田信成選手 ビデオメッセージ on March 29, 2011

Nobunari ODA 織田信成 © Japan Skates


Fumie SUGURI 村主章枝選手

[全日本優勝5回, 四大陸選手権優勝3回, トリノオリンピック4位]

JS: 震災後、章枝さんは練習のため海外で過ごされていましたが、その間感じられたことをお話し下さい。

FS: 「元気になろう!」というエネルギーを世界中の皆さんが求めているんだな、と感じました。外国の方は、パッション、エネルギーが本当にすごくて、今回イタリアのアイスショーに出演させて頂き、学ぶことが多かったです。また、世界中の方々が日本を心配されていて、日本が愛されていることを幸せに思いました。スケーターだからこそ出来ること。元気でエネルギーに満ちあふれた演技をお見せして、皆さんに元気になってもらえるようなステージを提供していきたいと考えております。

☞ Fumie SUGURI 村主章枝選手 ビデオメッセージ on May 21, 2011

Fumie SUGURI 村主章枝 © Japan Skates

 

Yuzuru HANYU 羽生結弦選手

[2011年四大陸選手権銀メダル, 2010年世界ジュニア・2009年ジュニアGPF優勝]

JS: 結弦さんは、仙台で練習中に被災され、練習拠点を移動されながらシーズンに向けて取り組まれています。⋯"人は、何か頑張ることがあると、元気が湧く!"、そう信じているのですが、結弦さんが今スケートに打ち込まれている御心境をお話し下さい。

YH: リンクが被災してからは、アイスショーでお世話になって、出演させてもらいながら練習してきました。練習環境としては不安定で良い状態とは言えませんが、どんどん自分が前に進んで行けたら、少しでも皆さんに明るくなってもらえるのかな、と思いながら滑っています。特にショーでは「演技を観に来たよ!」と直接皆さんから言って頂ける機会があるので、やっていて「たのしいな」と思いますし、ただ好きなことをやっているだけなのですが、その自分の演技がちょっとした元気になれば、と思っています。今シーズン、試合に出場していくと「被災した」ということを紹介されると思うのですが、「調整不足だった」とは言われたくないんです。試合に出してもらえるということは、少しでも自分の力が評価されているということで、「日本チーム」の一員として、「一人の選手」としてやっていきたいです。

☞ Yuzuru HANYU 羽生結弦選手 ビデオメッセージ on September 2, 2011

Yuzuru HANYU 羽生結弦 © Japan Skates


Daisuke TAKAHASHI 高橋大輔選手

[2010年トリノ世界選手権金メダル, 2010年バンクーバーオリンピック銅メダル]

JS: 大輔さんは、震災後すぐに行動を起されて、一番最初のチャリティーショーとなる「チャリティー演技会」に参画・出演されました。当時の状況について・演技会のことを振り返ってのお話、また震災復興支援に懸ける想いをお聞かせ下さい。

DT: 震災直後で世界選手権があるかどうかも分からない時期だったのですが、『今、自分に出来ることは何か』ということで、仲間と相談して「チャリティー演技会」を催しました。世界選手権は毎年ありますし、今やるべきことを行いたいという気持ちで一杯でした。一個人としては、「募金であったり、日々の暮らしの中で出来ることをやっていこう」と。では、スケーターとしては何が出来るかと考えた時、「スケートを活かして、皆の力を合わせ、少しでも何かの助けになりたい」と思いました。たくさんの方々の協力があって、ショー開催を実現することが出来ました。ファンの方にもたくさん来て頂いて、本当に終始あたたかい雰囲気で出来たのでありがたかったです。復興まで何年かかるか分からない状況なので、一時の思いだけでなくこれからもずっと続けていきたいなと思います。チャリティーショーに全て出ることはかなわないかもしれませんが、出来る限り出演させて頂けたらと思っています。一歩一歩の積み重ねが「未来」へと繋がると信じています。

☞ Daisuke TAKAHASHI 高橋大輔選手 ビデオメッセージ on October 30, 2011

Daisuke TAKAHASHI 高橋大輔 © Japan Skates



Yuzuru HANYU 羽生結弦, Daisuke TAKAHASHI, Shizuka ARAKAWA 荒川静香, Nobunari ODA 織田信成, Fumie SUGURI 村主章枝 © Paja