text: Pigeon Post 記者チーム & Pigeon Post - OKKO THE PIGEON GUILLEMOT 海鳩オッコ: projection, text|AIKO SHIMAZU 島津愛子: projection, introduction, edit, design
thanks to: NORAYA ノラヤ (NAHO YAMAMOTO) for our "beloved" green pigeon, PAJA for THE DECADE
posted on May 13, 2016
2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、"突き抜けた"瞬間を振り返る。
► 北米アイスダンスの第1の矢
タニス・ベルビン/ベンジャミン・アゴスト組(アメリカ)【シニア活躍時期:2001-10】
アイスダンスは選手ごとの格付けを崩すことが難しく、大きな転倒などがなければ順位の動きにくい種目だった。そんなアイスダンス界を一変させたのが、現在の採点法式(ISU Judging System)=CoP(コードオブポインツ)——6.0点満点で決める減点方式から、エレメンツのレベルと出来栄え点、演技構成点の合計で決める加点方式への変更だった。そんなCoPの申し子がベルビン/アゴスト組だ。カナダ出身のベルビンは、トリノ五輪に市民権取得が間に合わず出られないはずだったが、ファンや関係者の嘆願により、特例で取得が認められた。トリノ五輪は前回大会銅メダリストのバーバラ・フーザル=ポリ/マウリツィオ・マルガリオ組(イタリア)が現役復帰するなど、90年代から活躍する選手が集う、かつてない超ベテラン大会となった。当時21歳と24歳の2人は、CD(コンパルソリーダンス)は6位発進ながら、転倒や棄権が続出する荒れた大会をミスなく乗り切り、ベテランカップルを食うジャイアントキリングを達成した。当時の世界チャンピオンであるタチアナ・ナフカ/ロマン・コストマロフ組(ロシア)には敗れたが、獲得した銀メダルは北米のカップルとしては史上最高順位だった。そしてこれ以降、アイスダンスの表彰台争いの中心は、ヨーロッパから北米へと徐々に移っていく。コーチのマリナ・ズエワとイゴール・シュピルバンドの時代の到来を告げる大会となった。
► 失意から勝ち取った栄光
アルベナ・デンコワ/マキシム・スタビスキー組(ブルガリア)【1997-2007】
長いブロンドヘアを振り乱し、足首をひねりそうなほどディープエッジで滑る2人は、トリノ五輪の有力なメダル候補だった。しかしながら、OD(オリジナルダンス)のダンススピンで足をつき、技術点を大きく失った。演技構成点の評価が横並びだったこの大会で、それは致命的なミスだったと言える。総合は5位で悲願のメダル獲得はならなかった。しかし1ヶ月後の世界選手権は、0.45点の僅差をかわして初優勝。これはブルガリアの選手としては、全カテゴリーを通じて初めての快挙であった。翌年の世界選手権でも優勝し、一線を退いた。引退後は振付師、プロスケーターとして活躍している。
► ロマンティックダンスの第一人者
マリー=フランス・デュブレイユ/パトリス・ローゾン組(カナダ)【1997-2007】
彼らもまた、トリノ五輪のメダル候補の一角だったが、ODラストのローテーショナルリフトで転倒。FDを前に棄権するに至った。その年の世界選手権は、母国開催。五輪の失意を乗り越え、FDでは映画『ある日どこかで』の世界を、公私ともにパートナーの2人がロマンティックに演じ切った。デンコワ/スタビスキー組に0.45点及ばず銀メダルだったが、2人にとっては初めての世界選手権のメダルを手にした。翌2007年大会でも同組と接戦を演じ、2年連続で銀メダリストになった。引退後結婚し、夫婦でコーチに転進。現世界チャンピオンなど、モントリオールで世界中のカップルを指導し飛躍に導いている。
► 生き様を見せリンクを去った大ベテラン
イザベル・デロベル/オリビエ・ショーンフェルダー組(フランス)【1996-2010】
2005年世界選手権4位、トリノ五輪4位、2007年世界選手権4位。世界のトップにはあと少し届いていなかった2人。同世代のカップルは引退していき、2007-08シーズンには最古参のカップルとなった。それまでも個性的なプログラムを作ってきた彼らだが、このシーズンのFDは手話を振付に取り入れる意欲作『ピアノ・レッスン』を作り上げる。そして2007年エリック・ボンパール杯で、念願のグランプリシリーズ初優勝を収めると、2008年世界選手権では、初のメダルを最高の色にしてみせた。2人はバンクーバー五輪の優勝候補の1組となったが、怪我で終えた翌シーズンのオフに、デロベルの妊娠が判明する。彼女の産休中、ショーンフェルダーは引退したチームメイト、デュブレイユ/ローゾン組と練習し、時にデュブレイユがリフトの練習相手となった。そしてデロベルは2009年10月に出産。国内選手権にも出場せず、4ヶ月後の五輪をぶっつけ本番で迎えた。FDでは、台詞が涙を誘う『見果てぬ夢』を滑り、キスアンドクライでデロベルは靴を脱いで掲げた。笑顔で歓声に答え、6位で現役最後の大会を終えた。
► スケート大国復活の火付け役
オクサナ・ドムニナ/マキシム・シャバリン組(ロシア)【2003-10】
ゴージャスな雰囲気が持ち味の2人は、今でも語り継がれる名作FD『仮面舞踏会』で、2007年グランプリファイナル、2008年欧州選手権を制覇。シーズン3冠が濃厚だったが、シャバリンの左膝の怪我で世界選手権は欠場した。2008年6月に、コンパルソリーダンス指導の大家ナタリア・リニチュク/ゲンナジー・カルポノソフ夫妻にコーチを依頼。2ヶ月前に同チームへ移籍したベルビン/アゴスト組と切磋琢磨し、技術を高めた。2組の頂上決戦は2009年世界選手権。このシーズン物にしたCDでは首位に立つも、ODはベルビン/アゴスト組が上回り点差を詰めてきた。勝負は最終種目のFDに持ち込まれ、先に滑ったベルビン/アゴスト組が100.27点の高得点を出した。2人はダイナミックなリフトと、磨き上げたスケーティングを武器に、総合得点で1.22点の僅差を制した。世界選手権でいずれのカテゴリーでも金メダルから遠ざかっていたロシアに、4年ぶりの金メダルをもたらした。
► 不世出のスケーティングで手にした輝き
テッサ・ヴァーチュー/スコット・モイア組(カナダ)【2006-現在】
トリノ五輪後の4年、世界選手権の表彰台で明らかにアメリカやカナダの国旗を見ることが増えたが、しかしチャンピオンはヨーロッパの選手が守り続けていた。最後の壁を破ったのは、とても若いカナダのカップルだった。アイスダンスを始めた当初からカップルを組んでいた2人は、2003年にズエワとシュピルバンドの元へ移って練習に励み、シニアに上がってからは大活躍を見せる。2008年世界選手権では、18歳と20歳という破格の若さで銀メダルを獲得する。モイアのスケーティング技術はきわめて高く、アイスダンスの年功序列をことごとく破壊していった。そして迎えた母国開催の2010年バンクーバー五輪でも、大声援に気負うことなく、その技術の高さで他を凌駕。五輪のアイスダンス史上最年少の優勝であるとともに、北米初の金メダリストとなった。ここからアイスダンス界の主流は、完全に北米へ向かっていく。連覇を逃し2位に終わったソチ五輪以降、引退の明言をしていなかったが、2016年2月に競技への復帰を発表。王者の帰還が、これからのアイスダンス戦線をかき乱していくかもしれない。
► ワールドレコードメーカー
メリル・デイヴィス/チャーリー・ホワイト組(アメリカ)【2006-14】
近所に住んでいた2人は10歳頃にカップルを結成し、その後ズエワとシュピルバンドの下で練習を積んだ。同門のヴァーチュー/モイア組とは同じタイミングでシニアへ。2009年グランプリファイナルで初勝利を収めて以降、2014年ソチ五輪まで、直接対決の試合は必ずどちらかが1位と2位となる2強時代を築いた。2011年世界選手権では、苦手と思われていたタンゴのFDを、緻密なトランジションと振付で滑りこなし初制覇。2012-13シーズンからは、ライバルを引き離し、2シーズン連続全大会優勝の快挙を達成する。ワールドレコードを次々と塗り替え、2014年全米選手権FDでは、参考記録ながら119.50点のパーフェクトスコアを記録。ソチ五輪FDでは、演技構成点で史上初の10.00満点を出して優勝した。回転のタイミングに寸分の狂いもないシークエンシャルツイズルに、サーカスのように複雑なリフト。試合ごとに振付に手を加え、他の追随を許さないほどの密度のプログラムを作り上げるスタイルで、スポーツとしてのアイスダンスを極めていった。今のアイスダンスの形を作ったカップルの1組だ。
► フランスの個性派
ナタリー・ペシャラ/ファビアン・ブルザ組(フランス)【2002-14】
世界の一流コーチたちに指導を受けながらも、陸のダンサーと作り上げる個性的なプログラムで存在感を放った2人。しかしバンクーバー五輪までは、デロベル/ショーンフェルダー組に次ぐフランス二番手扱いで、彼らが引退した後の2010年世界選手権でもメダルに一歩届かなかった。次の五輪のメダルに照準を合わせ、2010−2011シーズンは精力的に試合に出場して評価を上げる。そして迎えた欧州選手権で、同じ時代を戦ってきたシニード・カー/ジョン・カー組(イギリス)やフェデリカ・ファイエラ/マッシモ・スカリ組(イタリア)を破り初優勝する。次の4年間の、ヨーロッパ一番手の地位を掴み取った。しかしメダル確実かと思われた2011年世界選手権はFDで転倒し、悪夢のような大会になった。1年後の2012年世界選手権はフランス・ニースでの開催で、母国で初のメダルをと意気込んでいたが、大会2週間前にペシャラが鼻骨を骨折する。演技への影響が心配されたが、慎重な滑りながらもミスは犯さず銅メダルを獲得。1年越しのリベンジを果たした。
► 努力の天才、表現者へ
ケイトリン・ウィーバー/アンドリュー・ポジェ組(カナダ)【2007-現在】
アメリカ人のウィーバーは、バンクーバー五輪出場のためにカナダ国籍を取得。準備は万端だったが、代表選考会のカナダ選手権でわずか0.3点届かず涙をのんだ。エースであるヴァーチュー/モイア組の強い輝きの下、隠れていた2人の個性が花開いたのは、2012年世界選手権。コーチのパスカーレ・カメレンゴのアイディアで、ドレスの肩紐を落とし、情熱的に男性への想いを表現するFD『Je Suis Malade』で、表現者としての新境地を開拓した。フランス開催の大会で、有名なシャンソンの曲を使ったことにより、会場の盛り上がりもひとしおだった。メダルは手にできなかったが、初のメダルを獲得した同門のペシャラ/ブルザ組に真っ先に駆け寄り、笑顔で称えるスポーツマンシップも見せた。2014年世界選手権はセクシーなアルゼンチンタンゴで銀メダルを獲得し、翌年も銅メダル。世界選手権におけるカナダの連続メダル記録を10年まで伸ばし、カナダアイスダンスのエースとして活躍を続けている。
► 思いがけないカップリングから生まれたハーモニー
マディソン・チョック/エヴァン・ベイツ組(アメリカ)【2011-現在】
チョックとベイツは、共に別のパートナーと世界ジュニアを制した経験があり、その2人がカップルを結成することは話題を呼んだ。結成後初出場の2012年全米選手権は5位でシーズンを終える。そのオフに、コーチのズエワとシュピルバンドが指導方針を巡って対立・決裂してしまう。彼らはスケートクラブを解雇されたシュピルバンドを選び、新たなクラブへと移籍した。そして迎えた新シーズン、2人は全米選手権で前年の世界選手権代表を破り、一気に2位までジャンプアップ。デイヴィス/ホワイト組に次ぐアメリカ二番手のポジションを確固たるものとした。適切な指導を受け、実力者たちのピースがハマれば、これほど急激に成績を上げるものなのかと驚かされた。2015年全米選手権で初優勝すると、2015年世界選手権では銀メダルを獲得。描くカーブが深く、鋭いスケーティングはアイスダンス界の中でも光る存在だ。次の五輪のメダルを狙い、世界一の激戦区となったアメリカのハイレベルな戦いを牽引していく。
► 不撓不屈のエース
エカテリーナ・ボブロワ/ドミトリー・ソロヴィヨフ組(ロシア)【2007-現在】
2007年世界ジュニアで優勝し、バンクーバー五輪にも出場。次世代のホープだった2人に試練が訪れたのは2010-11シーズン。年齢的にはまだまだ戦えるはずだったロシアエース組のドムニナ/シャバリン組の引退とヤナ・ホフロワ/セルゲイ・ノビツキー組(2009年欧州選手権優勝)の解散があり、20歳と21歳の若さで、アイスダンス伝統国ロシアの看板を背負うことになったのだ。2011年欧州選手権で銀メダルを獲得すると、コーチを鬼才アレクサンドル・ズーリンに変更した2012-13シーズンに世界選手権3位で初の表彰台に上った。いざ挑んだ母国開催のソチ五輪では、団体戦で金メダルを獲得したものの、個人戦では重圧に負け5位で涙を流した。そこからは怪我に悩まされる。2014年世界選手権では、ソロヴィヨフが公式練習で鼠蹊部を負傷し棄権。翌シーズンは彼の膝の手術で全休となる。悲運から復帰した2015-16シーズンは、5度目のロシアチャンピオンに輝き、欧州選手権では銅メダルを獲得した。幾度となく逆境に立たされても腐ることなく力をつけてきた2人は、来シーズンも活躍を見せてくれるに違いない。
► 大一番で見せた勝負強さ
エレーナ・イリニフ/ニキータ・カツァラポフ組(ロシア)【2010-14】
2009-10シーズン、少女が銃殺されるショッキングなラストのFD『シンドラーのリスト』で世界ジュニアを制し、世界中に名を知られるようになった2人。翌シーズンからは、ボブロワ/ソロヴィヨフ組と並びダブルエースとして、ロシアアイスダンスを支えた。2011-12シーズンからはコーチをニコライ・モロゾフに変更し、弱点をカバーするプログラム作りによって洗練されていく。しかし2人には、肝心なところでミスが出る勝負弱さがあり、優勝や表彰台のチャンスを何度も逃す。2014年ソチ五輪は、ロシア本国の期待の上に"ロシアアイスダンスの伝統"も重圧に加わった。アイスダンスが五輪の正式種目として採用された1976年からの連続メダル記録を保持しなければならない。その大一番に、北米勢の2強に迫るほどの高得点をマークし、ロシアの連続メダル記録を銅メダルで11に伸ばした。これで間違いなく次の4年の中心となるかと思われたが、2014年世界選手権後に解散。そこから、ロシアアイスダンスの混迷は未だに続いている。
► 空前の激闘を制した苦労人
アンナ・カッペリーニ/ルカ・ラノッテ組(イタリア)【2006-現在】
2強と同じ2006-07シーズンからシニアに参戦した2人だが、その成績はあるところから長らく伸び悩んだ。2010年グランプリシリーズ・NHK杯で惨敗を喫してから、コーチをモロゾフに変更したことが転機となり、成績は上向き始める。さらにシュピルバンドをコーチに迎えると、2013年欧州選手権で初の表彰台に上がり、翌年は初優勝を飾った。しかし、五輪本番を6位で終えたこともあってか、2014年世界選手権は、イリニフ/カツァラポフ組と有終の美を目指すペシャラ/ブルザ組の一騎打ちというのが戦前の大方の予想だった。欧州王者は特段の注目を浴びていなかった。イリニフ/カツァラポフ組はSDで大きなミスをして優勝戦線から脱落。他にも多くのカップルが五輪の疲れで調子が上がらない中、2人はここに照準を合わせてきた。快活にエネルギッシュに、『42nd Street』でクイックステップのリズムを駆け抜けた。SD首位で折り返すが、FDでは、ミスのなかったペシャラ/ブルザ組の有終の美を会場の誰もが想像した。19番滑走で登場した2人は、FDでも安定した滑りだった。FDのスコアは伸びなかったが、ここで生きたのがSD1位のスコアだった。ペシャラ/ブルザ組を0.06点差でかわし暫定1位。さらに、最終滑走のウィーバー/ポジェ組も猛追してきたが、それも0.02点差で制した。0.01点の差が勝負を分けるCoPといえども前代未聞の試合に勝利し、世界チャンピオンへと上り詰めた。
► アイスダンスの若き変革者たち
ガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロン組(フランス)【2013-現在】
2013-14シーズンからシニアに上がった2人は、初出場の世界選手権では13位。モダンなプログラムを滑る個性派カップルではあったが、目立つ成績は残せなかった。そんな2人はコーチのロマン・アグノエルとモントリオールに移り、デュブレイユ/ローゾン組の指導を受けて技術を大幅に向上させる。翌2014-15シーズン、いきなり世界チャンピオンのカッペリーニ/ラノッテ組を破り、グランプリシリーズ・中国杯で優勝する。そこから次々と格上カップルを破り、ついには2015年欧州選手権と世界選手権のタイトルまで手にしたのだ。柔らかく膝を使った滑りでFD『ピアノ協奏曲第23番 (モーツァルト)』のアンニュイな世界を表現し、世界を感嘆させた。しかし2015年8月、パパダキスが練習中に転倒して脳震盪を起こし、深刻な後遺症に苦しむことになる。グランプリシリーズは欠場し、国際大会への復帰となった2016年欧州選手権、シゼロンが抜群のリードを見せ連覇にもっていった。2016年世界選手権は、出遅れることの多いSDで首位に立つと、FDで神がかった演技を見せタイトルを守った。どれだけ体を傾けてもブレないポジション、美しいボディライン、緩急のついた滑り、前年よりも深みを増した表現。すべてが一級品だった。アクロバティックな動作や高難度のフットワークを詰め込み、プログラムの密度を高めることが主流となっていたアイスダンス界の潮流に待ったをかけ、一級品のスケーティング技術こそが勝利をもたらすことを示した。2人の活躍は、アイスダンスを新たな時代へと誘うだろう。
► 名作で切り開いたトップへの道
マイア・シブタニ/アレックス・シブタニ組(アメリカ)【2010-現在】
今シーズン、最も形勢逆転を果たし、印象に残った組に彼らを挙げる人は多い。彼らもまたズエワとシュピルバンドに育てられたカップルだ。清潔感のある王道プログラムを演じ、初出場の2011年世界選手権で銅メダルを獲得する快挙を成し遂げた。そんなシブタニ兄妹に長い低迷期が訪れる。シュピルバンドと決別し、ズエワの下に残って迎えた2013年全米選手権では、結成わずか1年半のチョック/ベイツ組に敗れ、アメリカ三番手の位置に転落。大きな大会でのメダルからは遠ざかった。状況を打破すべく、ロシア人のピーター・チェルニシェフにFDの振付を依頼し、完成したのが『Fix You (by Coldplay)』だ。お互いを支え合うことがテーマのプログラムは、兄妹の2人だからこそ演じることができるもの。2016年全米選手権を初制覇し、世界選手権では5年ぶりのメダルとなる銀メダルを手にした。アイスダンスでは、ただ技術を磨くのみならず、ダンスの表現に加えてカップルの個性が浮き出るような演技が求められる。それを可能にするプログラム作りが、一層求められる時代になっていくに違いない。
► いろいろなTurn the Tables(形勢逆転)
初開催の五輪団体戦に日本を導く:キャシー・リード/クリス・リード組
ソチ五輪の最終選考会である2013年ネーベルホルン杯。日本はここでカップル競技どちらかの出場枠を確保できないと、来たる五輪で初めて開催される団体戦への出場が絶たれる岐路に立たされていた。先に終わったペアでは、惜しくも出場枠獲得を逃し、日本代表は崖っぷち。そんな中、クリスは古傷の左膝の怪我をシーズン前に悪化させており、最後まで演技ができるのかすら心配されていた。さらに悪いことにFD前の公式練習で再び膝を痛め、本番では痛みにうめきながら滑る弟のクリスに対して、キャシーは祈ることしかできなかった。奇しくも彼らが用意したFD『Shogun』は、戦いで傷ついた武将が姫の介抱を受け、再び立ち上がって天下を獲るストーリー。最後まで演技をまとめ、見事ソチ五輪の出場枠・日本の団体戦出場権を確保した。キャシーは涙しながら『奇跡』だと言った。
"残された者"が手を取り合い、ロシアの頂点へ:エレーナ・イリニフ/ルスラン・ジガンシン組
2014年世界選手権の直前、衝撃的な報道がアイスダンス界を震撼させる。五輪で銅メダルを取ったばかりのカツァラポフが、ジガンシンのパートナーであるヴィクトリア・シニツィナとトライアウトをし、イリニフとは解散するというのだ。大会後に本当にシニツィナ/カツァラポフ組が結成され、解散の背景への憶測的な報道にも悩まされる中、イリニフはジガンシンの手を取り、これが奇跡的にはまってカップルを結成した。2組の直接対決は直後のシーズン、グランプリシリーズ・ロステレコム杯と思いのほか早くやってきた。シニツィナ/カツァラポフ組を上回り、イリニフ/ジガンシン組は2位で初の表彰台に上った。その勢いのまま年末にはロシアチャンピオンにまで上り詰め、逆境の中で生まれたカップルが成功するという、まさかの結果を残した。カップル結成2シーズン目となり、現在の2組の戦績は2勝2敗ずつで拮抗している。これからもライバル関係は続きそうだ。
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