text: Pigeon Post 記者チーム & Pigeon Post - OKKO THE PIGEON GUILLEMOT 海鳩オッコ: projection, text|AIKO SHIMAZU 島津愛子: projection, introduction, edit, design
thanks to: NORAYA ノラヤ (NAHO YAMAMOTO) for our "beloved" green pigeon, PAJA for THE DECADE
posted on May 13, 2016
2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、"突き抜けた"瞬間を振り返る。
► ペア大国中国のはじまり
シュエ・シェン/ホンボー・ツァオ組(中国)【シニア活躍時期:1993-2010】
現在、ロシアと共にペア大国といわれる中国。コーチのビン・ヤオとともに、ペアの土壌がなかった頃から中国の歴史を作り上げてきたのがこの2人だ。2002年世界選手権で中国ペア初の金メダルを獲得すると、翌年はシェンが怪我を抱えながらも完璧な演技で連覇を果たした。このまま2人の時代が続くかと思われたが、ロシアのタチアナ・トトミアニナ/マキシム・マリニン組が台頭し、戦績は拮抗していった。そして決戦のトリノ五輪は、シーズン前にツァオのアキレス腱断裂の大怪我があり、万全な状態で臨めず、ライバルの後塵を拝し3位に終わった。翌シーズンは、その悔しさを晴らすように出場全試合でSP・FS1位の完全優勝。3つ目の世界選手権金メダルを獲得し、引退を表明した。しかし、果たせていない最大の目標が、2人を再び競技の世界へ呼び戻す。2009年5月に、当時30歳と35歳で競技復帰を宣言すると、3年前と変わらぬ強さと安定感で他のペアを圧倒。バンクーバー五輪では、SP1番滑走で当時の歴代最高点を更新し、FSは最終滑走の重圧を乗り越えて悲願の金メダルを獲得した。この大会を最後に再度競技から引退し、ツァオは師ヤオからバトンを受け継ぎ、現在は中国トップペアのメインコーチを務めている。これからは指導者として、新たな歴史を作っていくだろう。
► 演技中断から奇跡の銀メダル
ダン・ジャン/ハオ・ジャン組(中国)【2002-12】
この2人の最も印象的な瞬間は、トリノ五輪のFSだ。冒頭では、当時成功者のいなかったスロー4サルコウに挑むも、回転不足で転倒し、ダン・ジャンが左膝を強打して演技を中断した。足を引きずる姿に誰もが棄権を予想したが、なんと演技続行。再開直後には高難度2アクセル+3トゥループのコンビネーションジャンプに成功してみせた。すでに10年が経つが、このコンビネーションジャンプには2人以外に挑んだ選手がいない。ミスを最小限に抑え、最終的には中国ペア3組で最上位の銀メダルを獲得した。その後も活躍を続けた2人だが、ダン・ジャンの身長が伸び続けていたことが影響し、2012年にペアを解消。彼女は引退し、ハオ・ジャンはチェン・ペンとともにソチ五輪に出場した。2016年4月、同門のシャオユー・ユーと新たなペアを結成し、五輪の夢を追い続けている。
► 欧州の絶対王者
アリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコビー組(ドイツ)【2004-14】
シェン/ツァオ組の引退後、ペア戦線の中心となったのがこの2人だ。2008年・2009年の世界選手権を連覇し、バンクーバー五輪の金メダルも確実かと思われたところで、シェン/ツァオ組が復帰する。さらに2人はジャンプの不調に陥り、3連覇中の欧州選手権のタイトルを逃すと、五輪は銅メダル、世界選手権も獲れない失意のシーズンとなった。しかし翌シーズン、誰もが初見でそれとわかる真っピンクのつなぎのFS『ピンクパンサー』を引っ下げシーズン全勝。その後も芸術面で挑戦的なプログラムを作りながらメダルを取り続け、最後の試合と公言して2014年ソチ五輪を迎える。しかし、ここでも銅メダルだった。フラワーセレモニーでは、サフチェンコは悔し涙を流してゾルコビーに抱きついた。引退を延ばして出場した世界選手権で5度目の優勝を果たし、有終の美を飾ったかと思われたが、サフチェンコはフランス人のブルーノ・マッソーと組み現役続行を決めた。ゾルコビーは引退してコーチとなり、ロシア組を指導している。かつて最高の相棒だった2人は、今度はライバルチームとして競っていく。
► 伝統国に現れた異色の2人
川口悠子/アレクサンドル・スミルノフ組(ロシア)【2006-現在】
カップル競技、特にペアに対して、ロシアが大国と呼ばれる重みは他国と全く違う。ソ連時代を含めると1964年インスブルックから2006年トリノまで五輪12連覇。世界選手権は1962年から2006年まで45年連続表彰台という伝統がある。日本出身の川口が、そんなロシアの代表になることは驚きだった。2009年にロシア国籍を取得し、世界選手権で銅メダルを獲得。バンクーバー五輪の1ヶ月前に開催された2010年欧州選手権では、当時ヨーロッパでは敵なしのサフチェンコ/ゾルコビー組を破って優勝し、五輪の金メダル候補と目されるようになった。しかし五輪では、SPで3位の好位置につけたものの、FSで挑戦予定だったスロー4サルコウの回避を命じられ、集中力を欠いてジャンプのミスを連発。ロシア13連覇の夢は潰えた。以後2人は、度重なる怪我に悩まされることになる。スミルノフの靭帯断裂でソチ五輪出場を逃し、川口の腱断裂で2015-16シーズンの後半を棒に振った。しかし、かつて涙をのんだスロー4サルコウは、2014年に成功し、2015-16シーズンには2種類を組み込むまでに技術力を高めている。2人の復活に期待したい。
► 満身創痍を乗り越えたスケート界のレジェンド
チン・パン/ジャン・トン組(中国)【1999-2015】
中国のペア大国としての地盤は、実力組が長く活躍することで支えられ、彼らも1999年から代表として戦った、とても息の長いペアだった。2006年に世界選手権で優勝し、最盛期を迎えるはずが、高い技術を持つ後輩ジャン/ジャン組に敗れることが多くなる。偉大な先輩シェン/ツァオ組も復帰し、中国三番手という苦しい状態で突入した2009-10シーズン。2人はキャリア最高の1年を送ることになった。2連勝で進出したISUグランプリファイナルでは銀メダルを獲得。バンクーバー五輪では、FS『見果てぬ夢』でパーフェクトな演技を披露し、当時の歴代最高点を獲得し銀メダルを手にした。このまま強さを見せていくと思われたが、トンの膝は、医師から「80代のようだ」と言われるほどボロボロの状態になっていく。休養を挟みながらたどり着いた4度目の五輪はあと一歩表彰台には届かず、現役を引退した。しかし翌年、妻パンの希望に夫トンが応え、地元中国で初開催される世界選手権を目指し現役復帰。史上最多16度目の出場となった大会で、円熟の美しいスケーティングを見せて見事銅メダルを獲得し、観衆の大歓声に包まれながら競技生活に別れを告げた。それは、フィギュアスケートにおける1つの時代が終わった瞬間だった。後の会見で、夫は妻に「世界選手権に連れて来てくれてありがとう」と伝えた。
► 最上級の化学反応
タチアナ・ヴォロソジャル/マキシム・トランコフ組(ロシア)【2011-現在】
バンクーバー五輪では、トランコフはマリア・ムホルトワとのペアで出場したが7位に終わり、呆然とした表情を浮かべていた。ヴォロソジャルはウクライナ代表としてスタニスラフ・モロゾフと出場し、8位入賞でパートナーの引退を見送った。そして2010年世界選手権の後に、ヴォロソジャルがロシアに移籍しペアを結成した。ニーナ・モーゼルコーチの指導の下、高さのある3ツイストリフトや成功率の高いソロジャンプを武器に、このペアで国際大会初出場となった2011年世界選手権でいきなりの銀メダルを獲得してみせた。以降、サフチェンコ/ゾルコビー組以外には敗れることなく、2012-13シーズンに至っては全勝。何度もペアのワールドレコードを更新した。母国開催のソチ五輪でも強さを見せ、団体戦と個人戦の2冠を達成した。時に、組み換えが信じられないほどの化学反応を起こすことを知らしめた。
► ペア不毛の地に開いた大輪の花
高橋成美/マーヴィン・トラン組(日本)【2010-12】
ペア競技史上最大のジャイアントキリング——形成逆転という意味でも、本来の"番狂わせ"という意味でも——それは、日本の選手によるものだった。10年前、女子シングルスケーターの活躍で日本でのフィギュアスケート人気はうなぎ上りだった。しかし、リンクの閉鎖など練習環境が整わない日本で、シングルスケーター以上に練習スペースを必要とし、指導者も不足しているペア選手が育つことは不可能に近いのだ。高橋は2007年にカナダ人のトランとペアを結成し、練習環境を求めてモントリオールに移った。シニアデビューしたシーズンの最後、フランス・ニースで開催された2012年世界選手権は、SP3位というこれ以上ない結果を残し、最終滑走のFSに挑む。表彰台までの点差は120.68点、2人にとって大幅な自己ベスト更新が必要だった。課題の3サルコウはステッピングアウトするも、直後の3トゥループ+2トゥループは踏みとどまる。息のあった振付と姿勢の美しいリフトで観客を魅了し、演技後半にはスロー3トゥループを着氷、喝采の中演技を終えた。緊張の面持ちで得点を待つキスアンドクライに、表示された点数は⋯「124.32」。3位という順位が発表され、コーチに飛びついて喜ぶ高橋の姿は感動的だった。日本ペア初の世界選手権表彰台の快挙であり、2人がペアを解消した今でも、この功績は光り輝いている。
► 完成度を極めたソチの星
クセニア・ストルボワ/ヒョードル・クリモフ組(ロシア)【2011-現在】
高橋/トラン組同様、2011-12シーズンからシニアに参戦した2人は伸び悩んでいた。シニアで戦うには必須の、3ツイストリフトのキャッチがうまくいかなかったのだ。そんな2人は、2012-13シーズンの終了後、ニーナ・モーゼルにコーチを変更。これが転機となった。翌2013-14シーズンからは、3ツイストリフトの質が見違えて向上。スケーティングの勢いも増し、一気に世界のトップレベルへと駆け上がった。ソチ五輪では、SP・FSを通じて9人全員のジャッジから、出来栄え点で+1以上の評価を受ける完璧な滑りを見せた。FSの日は、優勝したヴォロソジャル/トランコフ組よりも、この2人が演じた『アダムス・ファミリー』が観客を熱狂させた。2015-16シーズンには、3トゥループ+3トゥループ+2トゥループという過去どのペアも見せていない大技を習得。技術的にさらなる向上を見せている。
► 規格外のジャンピングマシーン
メーガン・デュハメル/エリック・ラドフォード組(カナダ)【2010-現在】
ソルトレイクシティ五輪で頂点を極めてから、カナダペアは長らく苦戦を続けていた。デュベ/デイヴィソン組が1度世界選手権の表彰台に届いた以外、ロシア、中国、そしてドイツ(サフチェンコ/ゾルコビー組)の厚い壁に阻まれ続けたのである。そのカナダで2010年にペアを結成した2人は、高いジャンプの技術を持ち、結成直後から3ルッツや3連続ジャンプを武器としていた。2013年世界選手権で初めて表彰台に上り、翌年も銅メダルを獲得したが、ソチ五輪では振るわず7位に終わった。そんな2人は、2014-15シーズンからスロー4サルコウをプログラムに組み込む。初成功は2014年グランプリファイナル。技術点で他のペアを圧倒し、2015年・2016年の世界選手権で連覇を達成した。さらにスロー4ルッツも練習している2人に続こうと、彼らが拠点とするモントリオール、リチャード・ゴーチエコーチの下に世界中のペアが集まり始めた。現在のペア戦線を語る上で、カナダという国は外せない。
► 小さなアーティスト
ウェンジン・スイ/ツォン・ハン組(中国)【2010-現在】
身長171cmのハンは、180cmを超えることが多いペア男子において、一際小柄な選手である。パートナーのスイも身長150cmと小柄だが、その差21cmは、ペアでは大きな方ではない。そんな小さな2人は、中国伝統の高さのあるツイストリフトやスロージャンプを武器に、2010年から2012年にかけて世界ジュニアを3連覇。ジュニアでは無敵だった。しかしシニアでは評価が安定せず、怪我もあって伸び悩む。2015年世界選手権は、地元中国・上海での開催であり、否が応でも期待は集まる。2人は、高い技術だけでなく、洗練された表現力を身につけ、イメージを一変させることに成功した。3位発進で迎えたFSは『フランチェスカ・ダ・リミニ』を見事に演じ切り、最多出場のレジェンド、パン/トン組を上回ってついに銀メダルを獲得。これは、シェン/ツァオ組から始まった中国ペアのバトンが、2人に渡った瞬間でもあった。ここ10年の大半は、ほとんどのペアが同じエレメンツをおこなっていた——ツイストリフトは3回転、スロージャンプは3ループと3サルコウ、ソロジャンプは3トゥループと3サルコウ。エレメンツだけでは差がつきにくく、加点と演技構成点の競技になっていた。そんなペア界に風穴を開けたのがデュハメル/ラドフォード組だとすると、4ツイストリフトとスロー4サルコウの両方を持つ若きスイ/ハン組はさらに壁を破っていくだろう。技術的にも芸術的にも上の次元の"突き抜けた"戦い、それがこれから先の10年に待っている。
► いろいろなTurn the Tables(形勢逆転)
イタリア初のISUチャンピオンシップメダリスト:ステファニア・ベルトン/オンドレイ・ホタレック組
長い伝統を持つ欧州選手権だが、ペア競技は長らくロシア(ソ連)とドイツにメダルが集中しており、ここ10年を見ても2国以外から表彰台に上れた組は2組しかいない。厚い壁を破った組が、国内選手権の参加ペアが毎年1〜3組と、決してペアが強い国とは言えないイタリアから出た。ベルトンは女子シングルから転向し、ホタレックと2009年にペアを結成。2013年欧州選手権はライバル組の不調もあり、前年4位の2人にとっては大チャンスとなった。SPでミスのない演技を披露して3位で折り返し、FSでは、3サルコウの転倒にも動揺せず大人のフラメンコの世界を演じた。そのまま3位を守り、イタリアペア初のISUチャンピオンシップス表彰台の栄誉を勝ち取った。結成以来、着実に力をつけた、そんな努力の結晶がこの銅メダルだった。
チェコ初の世界ジュニア金メダル:アナ・ドゥシュコヴァー/マルティン・ビダージュ組
2016年世界ジュニアで、チェコ選手としては全カテゴリーを通じて初の快挙を成し遂げた。前シーズンまでは目立つペアではなく、ISUジュニアグランプリシリーズは10位と8位。世界ジュニアは8位だった。しかし2015-16シーズンに才能が開花。チェコのお家芸とも言える滑らかなスケーティングで、リンクを縦横無尽に駆け回り、タイミングがピッタリのソロジャンプで、評価は右肩上がりになった。選手層の厚いロシアやアメリカでは、結果が残せないとすぐに解散を選び、新しいパートナーを見つける。しかし、チェコのように選手が極めて少ない国ではそうはいかない。2人は時間をかけてコンビネーションを育んできた。長く続けることの大切さを説いてくれる大成功だった。
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