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by AIKO SHIMAZU 島津愛子
March 21, 2013 in Kobe
2010-12FS"Romeo and Juliet" @ 2011 All-Japan
吉田行宏選手に最初にお話を伺ったのは2012年の冬季国体(1月末)で、2回目が2013年の冬季国体後、こちらの競技人生最後のインタビューになります。1回目も2回目も、朗々としたお話と笑顔でもてなして下さった行宏さんですが、今回は 道徳ありボケあり、現役生活を粋に締めくくって頂きました。
PP: まずは、現役最後の試合となった、2013年冬季国体の演技の自己解説をお願いします。
YY: ショート("Asturias")は、3Aも入って、他のジャンプもスピンも失敗なく、綺麗〜に最後のほうまで まとまって行ってたんですけど、最後のステップでこけちゃって(笑) ステップでこけちゃったのは⋯なんかちょっと、恥ずかしいし(笑)、
PP: うっかりミス、みたいな(笑)
YY: それさえちゃんとやれてたらノーミスで終われたのに!と、情けないところではあるんですけど、でも全体的にまとまった演技が出来て。ショートで失敗、っていう試合もあったので、初日からしっかり力を出せたのはすごいうれしかったです、純粋に。
YY: フリーは、インカレまでは"宿命"を使ってたんですけど、全日本終わった後位からずっと考えてて⋯「最後(国体)は"ロミジュリ(ロミオとジュリエット)"にしたいな」と。そう決めて、「インカレが"宿命"の最後だ」と思ってやってたんですけど。
PP: 「自分が一番気に入ってたプログラムで最後(フリー)滑りたい」という、国体のショート演技後のサプライズ告知でしたね。
YY: インカレが終わって3週間位しかなかったんで、若干、心配はあったんですけど、"ロミジュリ"も2年(2010-12シーズン)使ってた曲で、やり込んでたし自信もあったので。多少、部分部分で忘れてるところがあって(笑)、ビデオを見たりして思い出してやったんですけど。なんとか、3週間の練習で まとまったフリーになったんでよかったと思います。
ジャンプは、苦手なループを失敗しちゃったんですけど(転倒)、2日続けて全体的に良かったんで。自分の過去最高の、
PP: そうそう!
YY: 今まで(総合)183点位が最高だったんですけど、190点に乗って、うれしかったです。⋯欲を言ったら、200点に乗せたかったな、という(笑)、
PP: 「200点越え」というのは男子選手の皆さんからよく聞かれますね。
YY: ハイ。そういう、いっこの目標があったんですけど。⋯まぁまぁ、でも、よかったです!(笑)
PP: ショートの演技後の囲み取材で、「昨日の練習ぐらいから いっこいっこ『最後やな。』ってかみしめて。」と、引退する「感慨」について話されていて。
「寂しいですか?」との質問に、「『寂しい』というか、『変化』はすごく感じますね。」とお答えだったので、自分は そのショート後のインタビュー記事の告知で、【多分、吉田行宏選手曰くの「変化」っていうのは、子供の時から毎日毎日スポーツがんばってる人特有の「喪失感」かな、と思いますので、それをすこしでも埋められるとしたら、皆さんの大・大・大声援だと思います。会場に行かれる方は、今国体で勇退の選手に ここイチのシャウトをお願いします!】ってお伝えしたんですけれども、
YY: ありがとうございます!
PP: 今はどんな感じでしょう?
YY: そうですねぇ⋯なんか今は、4月から(東京で)仕事ってこともあって。やっぱり僕の人生の中でスケートというのはすごく大きくて、自分の人間関係——学校の友達ももちろんなんですけど、スケート界の人達とはほんとに親しくしてきて、そういう人達との接触の場も減ってしまう、っていうのはすごく寂しくて。で、今はその人達とすこしでも親交を深めて、というか。引退してしまっても繋がりが残るように、今は必死で皆と会って遊んで、「これからもヨロシク!」っていう感じで。毎日誰かと会ってます!(笑)
PP: ラストスパートで!
YY: でも、(関西を離れても)月1位のペースで帰って来てやろうと思ってるんですけど!(笑) ⋯自分が決めたことなのに、「なんで俺、東京に就職したんだろうなぁ!?」って最近になって思いますけど(笑) だからねぇ、先週から今週、すごいですよ。毎晩誰かと飲んでます!(笑)
PP: (笑)
YY: 毎日毎日、誰かと会って。(3月)27日から東京で、あと5日しかないんで、もう必死ですよ(笑)
PP: (笑) 最後の追い込みの中、Pigeon Post のインタビューへお越し下さって、ありがとうございます!
PP: 国体で終えられた競技人生を、最初から振り返って頂こうと思うのですが、まず、どうやってスケートを始められたのでしょう?
YY: 全然、僕の意思じゃないんですよ(笑)
PP: 皆さんそうおっしゃいますよ(笑)
YY: ハイ!僕には5つ上の姉がいまして。お姉ちゃんは、お母さんにスケート場に連れて行かれて、で、「やりたい!」ってスケートを気に入っちゃって。それが3,4歳の時なので、要は、僕が生まれる前なんですよね(笑)
PP: そうだ、まだ存在しない(笑)
YY: 僕が母のお腹にいる頃にも、お姉ちゃんの送り迎えで毎日スケート場に通ってて。僕が生まれてからも、毎日ついて行って、(終わるのを)待ってて、みたいな。
同じように待ってて、暇で一緒に遊んでた子達も「私もやる!」ってスケートを始めて、だんだん遊ぶ相手もいなくなって。「⋯やっぱり、待ってるだけじゃつまんないなぁ」と思ってたら、「悪魔の声」が(笑)
PP: お呼びがかかって(笑)
YY: お母さんが「待ってるだけじゃつまんないでしょ、スケートやったら?」って(笑)、だまされて、始めちゃったんですよ。
PP: もとい、お母様の「天の声」で(笑)、そこからトップアスリートになられるんですけど、
YY: いやいや。
PP: いえいえ、どういう過程を経てフィギュアスケート選手はうまくなるのかな、と思って。
YY: 僕⋯ちっちゃい頃は、よく、「センスある」とか言って頂いて、
PP: あー、トップアスリートあるあるのキーワードですね!
YY: だから ちっちゃい頃は、自分から始めたわけでもないし、ただただ楽しくやってただけで、一生懸命練習したわけではなかったと思うんですけど、小学校三年生の時に「全日本ノービス」っていう大会に初めて出て。その「全国大会」っていう価値も分かってない、自覚がないまま出て、その時の1位が小塚(崇彦)君で、
PP: おお?
YY: (笑) で、僕なんと、2位になっちゃったんですよ。
PP: おおー!
YY: ⋯みたいなことになって(笑)、普通に聞いたらすごいじゃないですか、で、僕も、やる気もなくやってたのに こんなになっちゃったから、「⋯スケートって簡単なんだな。」みたいな(笑)、
PP: 思っちゃった、みたいな(笑)
YY: (笑) ばかみたいに、ナメちゃって、スケートを。その次のシーズンも似たような形でやってて、またその全日本ノービスに出たら、また2位になったんですよ。
PP: おおー!!
YY: で、2回連続2位になって、「もう、チョロいな!」と(笑)
PP: (笑)
YY: 1位になれたわけでもないのに!⋯で、そんなことが続くから、全然練習しなかったんですよ、僕。練習よりも友達と遊ぶほうが楽しくて。楽しいこと優先で生きてて(笑)
PP: それが小学生ですよね(笑)
YY: その頃から、大西(勝敬)先生に見てもらうようになったんですけど、その次の全日本ノービスはAクラスに上がって。クラスが変わっても、年齢的に 出てるメンバーは一緒なんですけど、その小学五年生の時に、初めて僕、9番まで落ちたんですよ。
PP: !?
YY: (笑) それは、練習してなかったから。周りがめっちゃうまくなってて、もう2Aとかトリプルとか飛んでるのに、僕はまだ2Aが「グリんこ(回転不足)」とかだったから(笑)
PP: うー⋯
YY: 「そりゃ負けるわ。」ってハナシなんですけど!そこで初めて、「あ、練習しないとだめなんだ」っていうのにやっと気付いたんですよ。
で、それからは随分変わって、真面目に練習するようになったんですけど、でもそうやって「ちっちゃい頃に差がついた分」っていうのは結構大きくて。その次のノービスAでは5番まで上がったんですけど⋯ その時に開いちゃった差が最後、そのまま、
PP: ああー、「3Aまで来たのに!」っていう!ジャンプの段階があともう一歩、
YY: (笑) そう、出遅れ感はありましたね。
PP: あの2年間が⋯
YY: まぁ、その頃から真面目にやってたら結果的に変わったのか、っていうのは分かんないですけど。でも、それで真面目にするようになったから、ある意味勉強になったし、よかったと思うんですけど、「⋯もっと真面目にやってたら。」とかは、
PP: 思いますね!
YY: 分かんないですけど(笑) 「アホやったなぁ。」って(笑)
PP: 2012年の国体(2011-12シーズン)になるんですけど、自分はショートの前日練習から取材していて、行宏さんはずーっと3Aを反復練習されていて、「決まったらいいなぁ」って自分は拝見してて、ショート後のインタビューでも「3Aは、まだショートに入れるには⋯」っておっしゃってて。それが、その国体のフリーで決まって、以降ずっと決まって!⋯そういうことなんだ。(あと一歩でトップのジャンプ構成に!)
YY: (笑) そうですね。で、実は僕、3Aは高校三年生の時(2008-09シーズン)に降りてた時期があるんですよ。
高校二年生の時、全日本選手権(2007年 7位)で新人賞を取ったりして、小学五年生からは順調にうまくなってたんです。そのシーズン(2007-08)の世界ジュニアは3枠あって、「絶対出たい!」と思ってがんばっていて、でも全日本ジュニアで、3番まで行けるのが、ちょっとの差で4番になっちゃったんですよ。それは悔しかったんですけど、特別に全日本選手権に出場させて頂けることになって。その頃は3番までしかジュニアは(全日本に)出られなかったんで。
PP: その全日本が大一番になって!
YY: その全日本で、全日本ジュニアより良い演技が出来て。⋯そのシーズンまでは順調だったんです。その次のシーズン(2008-09)で、怪我しちゃって⋯
PP: 部位は?
YY: 右足の「中足骨」、足の指からつながってる骨、
PP: あー、踏ん張りに大事な。
YY: そうそう、フリップとかルッツの練習のし過ぎで、疲労骨折しちゃったんです。
PP: 踏切の時の使い痛みで⋯
YY: そう。まだ高三でジュニアだし、「もう1回世界ジュニアのチャンスがある」と思ってたんですけど、空回りしちゃって。そのシーズンの夏頃には3Aを降りたりしてたんですけど、全日本ジュニアの頃(11月半ば)にちょうど怪我して。出来も悪くて。「⋯だめだなぁ。」つって。(にこやかに振り返る行宏さん)
そこから、怪我治すのに2ヶ月休んで、ちょっと練習始めたところでまた痛めて、1ヶ月休んで⋯みたいな状態で、だから4ヶ月位スケート出来なかったんですよ。その間、だましだましで国体に出たりしたんですけど、ほとんど練習してない。
PP: ⋯
YY: でも、その間に運転免許も取れたんで(笑)
PP: (笑)
YY: ある意味、よかったんですけど(笑) でも、そこのブランクが、すごい自分の中ではおっきくて。
その年の4月から大学生だったんですけど(2009-10シーズン)、ルッツ・フリップ・ループ位が⋯高校二年まで結構余裕で飛べてたジャンプが、全然飛べなくなっちゃって。怪我のほうは再発もまったくなかったんですけど、「失ったジャンプ」が取り戻せなくて⋯大学一年生二年生、三年生(2011-12シーズン)の前半頃まで、もう本当に引きずってましたね。
なんか⋯(練習を)やってもやってもうまく行かない→スケート嫌いになる、みたいなことの繰り返しで、ほんとに「スケート止めよう」と思った時期もありました。
PP: うーん⋯
YY: (爽やかな笑顔で) だから、僕、無駄にしてる時間が結構多いんですよね!(笑) もっともっと早く、その負のスパイラルを抜け出して、今みたいに楽しくスケート出来てたらよかったんですけど。
大学三年からだんだん調子が戻って来て、三年生の最後のほうには結構良い演技も出来たし、今年(大学四年生 2012-13シーズン)は、(フリーで)3A2発入れたり、いろいろ挑戦したので難しかったんですけど、でも、「確実に去年よりはうまくなっているな」と自分で思えたんで、全然後悔はないんです。
PP: あと一歩足りなかったところ、もうちょっと競技を続けよう、とか⋯ 「ソチ(オリンピック)まで」とか、
YY: いや〜、「ソチ」はないですよ(笑) 僕、大学三年から就職活動をしてて、せっかく就職も決まったし。
自分の家庭的に、「大学卒業したら就職する」っていうのが当たり前だと思ってたんで、「卒業後もやる」っていう選択肢がなかったですね、僕の中に。だから、「4年間やってだめだったら、もう それまでだ。」っていう思いだったんで。
でも、最後のほうにほんとに良くなってきたから、
PP: (頷)
YY: (笑) 「もうちょっと練習したら、もうちょっと伸びるんじゃないか」と思えるんですよ、
PP: そうだそうだ!
YY: 「ここが自分の限界じゃない」とは思うんです。それに懸けてやってみたい気持ちはあるけど、でもそれは所詮、僕にとっては「自己満足」でしかなくて。
PP: ⋯
YY: やったからって、ソチの代表になれるもんじゃないから⋯やっぱり、その選手達とのレベルの差はまだまだすごく大きい、ってなった時に、「ここはスパッと!」と。
多分、もう1年続けたりしたら、だらだらと止められなくなっちゃうんで、僕(笑)
PP: ⋯
YY: (笑) だから、スパッと切り替えて、「次のことがんばって行こう!」という感じですね。
PP: ⋯いや〜、でも惜しいですねー、
YY: (笑) そう、「四回転1回位降りたかったな」というのはあるんですけど。
PP: 練習はされてたんですよね。
YY: しました。去年の夏頃に、アンダーローテ(ー1/4回転)付くか付かないか、位まで回ってこけたことがあったんですよ。1回位飛びたかったなぁ、と思うけど⋯そのためにも、1年(怪我のあったシーズン)は大きかったです(笑)
(こちらの切ない気持ちまで、笑顔で盛り立てて下さるような行宏さんでした)
FS"Granada" 2007 All-Japan
PP: 先日 澤田亜紀コーチ(関西大学)にも取材させて頂いて、亜紀さんもやはり同じように「(競技生活は)『大学四年生まで』と決めていた」って、そこから就職活動について、全シューカツ生のためになるお話もして下さったんですけど、是非、吉田行宏選手にもお願いしよう!と、
YY: えー!(笑) 何話したらいいんだろう⋯そうですね、大学三年生の12月位から企業の説明会とかが始まるんですよ、でも12月1月っていうと、
PP: いよいよ、シーズンの佳境で、
YY: そう、すごい試合があるから⋯で、たまたま空いた日に、学校で説明会をやってたら顔を出す、みたいなことを12月位からちょこちょこし始めて。
でも、自分にとっては、「まず国体まで終わらす」ということが念頭で、いろんな先輩に聞いても、「実際に書類を書いたりするのは2月からだから」と。「説明会とか準備できることは多いけど、本当に就職活動するのはそれからだから安心していいよ」と言われてたんで。「まずはそれまでスケートがんばろう!」と思って。
それに、学校のテストとかもあったんで(笑)、就職活動どころじゃなかったですけど。
でも、家でパソコンから会社の情報を調べたりとか、そういうことは出来たんで、ちょっとした準備だけはしてて、で、冬季国体終わってから本格的にいろんなところに行って。企業の合同説明会も行ってみたし、面接もいろいろ行きました。
PP: そして、エンターテインメント系企業に御就職が決まって!おめでとうございます!
YY: ありがとうございます!「ここは絶対受けよう」と最初から決めていた、第一志望で。
PP: どの位前から希望されていたのでしょう?
YY: 就職活動のことを意識し始めたのが、大学二年生の頃から⋯ 何か「調べてた」とかではないんですけど、なんとなーく、例えば街に出た時に「こんな仕事もいいなぁ、あんな仕事もいいなぁ」と、人を見ながら想うようになってて。「こういう風に生活できたらなぁ」とか、「妄想」に近いような(笑)、
PP: (笑)
YY: いろんなこと考えたりはしてて。その中で、友達とUSJに行ったことがあって。僕、「その時初めて会って・もう二度と会わない」みたいな、アトラクションを紹介してくれるお兄さんとか、そういう人と楽しくしゃべるのが結構好きなんですよ。そこのお兄さんも気さくな方で、待ってる時間も話して下さって、退屈しなくて。
そういうことがあって、「こういう『楽しい現場』で働けるというのはすごいことだなぁ」と思ったのがきっかけですね。
PP: わぁ〜。一期一会が縁を結ぶ、って素敵ですね。
PP: 競技人生のベスト演技となると、お話しのように「2007年の全日本」や「2012年13年の国体」になると思いますが、ベストプログラムについてはいかがでしょう?
YY: "ロミジュリ"か、"黒い瞳(2010-12SP)"、あと、ちょっと古いですけど、タンゴの"Tanguera/La Cumparsita(2009-10SP)"は好きでしたね。大学生になってからのは、自分もこだわって作ってたので、どれも好きです。
YY: "ロミジュリ"にしたのが大学二年生で、そこから振付は(宮本)賢二先生にお願いしてたんです。"ロミジュリ"と"宿命"は賢二先生で。
⋯僕、なんか「こだわり」があって。賢二先生の振付は素晴らしいんですけど、先生の振付で他にもたくさんのスケーターが滑っていることもあって、ショートもフリーもお願いする、となると、どこかで似てしまうんじゃないかな、と。すごくよいものを作って下さって感謝しているんですけど、「ショートは違う先生にお願いしよう」というのは自分の中で決めてて、そのショートを佐藤紀子先生に⋯
PP: あー!
YY: 直接作って頂くようになったのは、結構大きくなってからなんですけど、自分のリンクの先輩の振付をしに来てはったりとかで、昔からちょいちょいお会いしていて、振付の手直しをして頂いたこともあったので、お願いして。作って頂けてよかったです!
PP: 御自身で、「ここはこういう振りで」とか提案されたりしていましたか?
YY: 賢二先生は、細部までガチッと作って下さって、「こうしたいけど動きやすい?」とか聞いてこられることはあるんですけど、基本的には賢二先生が作られた振付で、紀子先生は、作りながら相談されるんですよ、「うーん、なんかおもしろい動きない?」とか、おもしろくて(笑)
PP: (笑)
YY: 「えー、『おもしろい動き』ですか?⋯ちょっと待って下さいね、」とか(笑)
PP: (笑)
YY: もちろん、紀子先生が作って下さった振付なんですけど、「一緒に作らせて頂いた」みたいなイメージが大きいですね。最後のショートの"Asturias"は、スパニッシュの雰囲気もあった曲で、わざわざ紀子先生がフラメンコの先生を呼んで下さって、フラメンコを教えて頂いて。
PP: 近藤琢哉選手の2010-11SP"ルパン三世"も紀子先生で、
YY: おもしろいですよね。
PP: そちらも、そのような形で仕上がった、と琢哉さんからお伺いしましたよ。
YY: 紀子先生は、「ありがちな動き」じゃなくて、「なんか変わったことしたいなぁ」って考えて下さる方だから、僕もやってて楽しかったですね。やっぱり、皆と同じことしても楽しくないから。
PP: そうだそうだ!
YY: ハイ!(笑)
関西学院大学スケート部のwebサイト より、☞ "黒い瞳 Dark Eyes" ☞ "宿命 Fatum" ☞ "ロミオとジュリエット Romeo and Juliet" の動画が見られます。
御本人は 音楽の専門的なことは「分からない」と謙遜されていましたが、旋律に寄り添うようなスケーティングは、情を忍ばせながら簡潔に抑えた踊りと共に、吉田行宏選手の品になっています。ヒラリと舞うジャンプ、静かに燃える演技も是非御堪能下さい。こちらの"ロミオとジュリエット"のイラストの「これぞ・ジャパンの慕情!」なシーンも見つけられますように。
(⋯2007年の全日本の動画もいずこで見つかります)
2010-12FS"Romeo and Juliet"
PP: さて、最後に、長かった競技人生を〆て頂こうと思っているのですが⋯ 長ーーーかったと想うのですけれども、そこのところを振り返ってまとめて頂こう、と、
YY: (笑)
PP: まず、スケート界に今後戻られる、というお考えは持たれていますか?
YY: そう⋯ですね、僕 この間、自分のリンク(臨海スポーツセンター)の後輩の女の子の振付を大西先生に頼まれて、
PP: おおーう!
YY: やったんですよ!(笑) それまで、「自分がスケートの先生をする」とか、まったく考えたことなかったんですけど、そういう機会を与えて頂いて、振付をやってみたら楽しくて!(笑)
PP: (笑)
YY: すごい楽しくて。その子も素直で良い子で、言うことをよく聞いてやってくれたから、なんですけど。
YY: 今、初めて「スケートの先生も いいもんだなぁ」っていう位には思ってますね。
でも、「まず、働いてみる」⋯ことですね、今は。何年か働いて、ずっとこの「モヤモヤ」、っていうか、「やってみたいな」という気持ちが残ってるんだったら考えよう、と思ってます。まずはやっぱり、「社会」に出てみます!いろいろ勉強しないと。
⋯でも、振付とかやってたら、だんだんだんだん気持ちが傾いて行っちゃいそうだから、恐くて(笑)
PP: (笑) どーん、と傾かせたいですね。
YY: (笑) いやいや。でも、その子が全関西の試合で、ステップもレベル3が取れて、
PP: おおーー!
YY: (笑) めっちゃうれしくて!レベルも取れて、自己ベストも更新したらしくって、それはすごいうれしかったです。⋯その子自身がうまくなってたから、というのもあるんですけど(笑) すごい楽しかったです!
だから、ベストなのは、「働きながら週末に振付師」とか、
PP: 「週末振付師」。それはイイ☆
YY: そういうことが、出来ればイイんですけど、この世界、片手間で出来るようなものでもないから。振付にしても、土日だけでどうにかなるようなものでもないし。それは、作ってあげた子に対しても良くないから。もし(スケートの先生を)やるんだったら、腹決めていかないと。
⋯だから、まぁ⋯ まぁ、多分、ないですね(笑)
PP: はてさて、どうなりますか、分かんないですよ(笑)
YY: よっぽど「スケートやりたい気持ち」が残ってたら、なんかします、3年後位に(笑)
PP: お願いします!
YY: でも、今、新しい趣味見つけようかな、と思っていろいろ探してて。
PP: 「趣味」ですか?(笑)
YY: そう(笑)、やっぱり、体を動かすことは長いことやって来て、好きだから。でも僕、ほんと、運動できなくて。
PP: !?
YY: スケート以外のことだと、何やってもヘッタくそなんですよ(笑)
PP: ⋯
YY: (笑) ほんっっとに。
PP: ⋯ジャンプ飛べるのに?
YY: 特に、男友達と遊ぶとなると、球技が多いじゃないですか、でも、ぜんっぜん、だめなんですよ。コントロールもないし、とにかくヘッタくそなんですよ(笑)
PP: いや!でも、早いタイミングがあるし、タイミング合わせるのは絶対上手ですよ!!⋯バッティングセンターで打ちっぱなしとか。
YY: いやぁ〜、当たらない、当たらない(笑) 当たらないし、キャッチボール受けられない(笑)
PP: ⋯
YY: とにかく、だめで!(笑) 僕、何をやらせてもセンスがないと思うんですよ、
PP: いやいやいや、
YY: スケートも、練習を真面目にし始めてからは、「努力」で積み重ねて来たタイプなんで。「才能」じゃなくて。だから、「なんでも手を出してみて、ハマっちゃったら、うまくなるまでやるんだろうなぁ」とは思ってますけど(笑)
PP: 何事も極めるタイプで(笑)
YY: それと、その趣味には条件があって⋯
PP: 「条件」?
YY: スケートで散々「ゼーハーゼーハー」言ってたから、「息が乱れないスポーツ」がいいな、と思って!(笑)
PP: (笑) 全部!全部、「ゼーハー」息あがりますよー(笑)
YY: (笑) いやぁ〜、「弓道」でもしようかな、と(笑)
PP: ソコ!?(笑) ⋯アーチェリー、ダーツ、
YY: (笑) ボーリング。「カーリング」はちょっと寒いからイヤでしょう?(笑)
PP: (笑) ※っていう、ネタとしてね、
YY: みたいなね、そんな妄想を最近してます(笑)
PP: (笑) っていう、ひとネタ終えたところで、「スケート人生」こうだった、というのをお願いします。
YY: (笑)
YY: 僕には⋯「スケートは、本当に勉強させてくれました。」
小学五年生の時に、「努力しないと何事もだめなんだ」というのを気付かせてくれたのもスケートだし、大学一年生二年生とか、スケートが辛い時期に、すごく空回りしてて——努力は多分、人一倍してたんですけど、それがうまく噛み合なくて、「ただただ、がむしゃらにがんばる、っていうのじゃだめなんだ」と思って、それからスケートに対するアプローチの仕方をいろいろ変えてやって行った中で、うまく行ったのがあって、今ここまで来たんで。「努力だけじゃなくて、冷静に見直してやって行かなアカンな」と教えてくれたのもスケートだな、と思って。
PP: ⋯「がむしゃら」だけじゃだめなんですか?
YY: (笑) そう、だめなんですよ、「がむしゃら」だけじゃ。
PP: がむしゃら頼みの者には、ちょっとかなしいお知らせ(笑)
YY: (笑) 僕、ずっと大西先生に教えて頂いて、大西先生には本当に感謝しているんですけど、調子が悪くなって1年2年⋯となった時に、すこし、違う意見というか、別の角度からの視点を取り入れるべきだったんですよ、もっと早くに。でも、僕は大西先生を信頼していたので。
そうやって煮詰まってしまった時に、大西先生が「染矢(慎二)先生のところに出稽古に行って来い」と提案して下さって。
大学二年生から、所属を変えずに、染矢先生に見て頂く期間を作ったり、夏休みに長光(歌子)先生の合宿に参加させて頂いたりして、それによって、ジャンプとか、すごい悩んでた部分もどんどんどんどん解消されていったし、そこから帰って来たら、大西先生との練習も よりうまく行くようになって、良い関係が作れたので、すごくよかったですね。もっと早くに、そこに行き着いてたらよかったんですけど。
でも、最終的に良い形で終われたな、と思ってます(笑)
PP: 視点を変える。
YY: やっぱり、一人の先生に言われることって一緒なんですよ、
PP: 決まってきますね、
YY: そう、染矢先生や長光先生が教えて下さったことは、多分、本質的には大西先生と同じだと思うんですよ、でも、使う言葉や伝え方が人それぞれ違って、そういう風に言われると、また新鮮な気持ちで、肩の力も抜けて取り組める、というか。そうやって、ちょっと「違う風を入れる」というのはすごい大事だな、と思いました。
染矢先生と長光先生にも、めっちゃ感謝してます!
PP: 「違う国」、海外合宿には行かれたのでしょうか?
YY: 2回、高校二年生の夏と大学一年生の夏に、アメリカの「アイスキャッスル(レイクアローヘッド アメリカ・カリフォルニア州 ロサンゼルス郊外)」には行きました。どっちも2週間3週間位。アンソニー・リュー先生(町田樹選手の現コーチ)とかがいらっしゃって。それは⋯ 楽しかったです!(笑)
PP: (笑)
YY: でもやっぱり、2回行って思ったんですけど、もちろん、良い環境で練習できるし、先生達*も素晴らしいんですけど、「言葉」の面で、
(* 現在はフランク・キャロルコーチも在籍)
PP: あー、
YY: 僕の英語力なりに、言われたことを聞き取ってやってみたんですけど、やっぱり効率も良くないじゃないですか、で、多分、先生達も、伝えたいことを全て伝え切ってはいないと思うんですよ、
PP: 分かるように伝えよう、と。
YY: だから、良い先生方と良い練習が出来るんですけど、「アメリカに行く」となるとお金もかかるし、それに対して自分の成果が見合わないな、と思っちゃって。すごい楽しいから、行きたいっちゃあ行きたいですけどね(笑)
でも、それなら、染矢先生・長光先生に習ったみたいに、日本にもたくさん良い先生方がいらっしゃるので!(国内の練習で)もっともっと充実した時間が過ごせるな、と思いました。
あと、日本が好きなんですよ、僕(笑)
PP: (笑)
YY: 海外行くと、「なんかすることないなぁ」って、いっつも(笑)
PP: (笑) アイスキャッスルも山奥にあって。
YY: まぁー、暇ですよ(笑)
PP: (笑) 海外で、何がやりたかったですか?
YY: 何ですかねー、街とか出てみたかったですね。
PP: ロサンゼルスとか。
YY: うん、僕、本当は、ヨーロッパの街に行ってみたいんですよ、
PP: ジュニアの試合で行かれましたか?
YY: 多少行きましたけど、試合だと観光も出来ないし、行きたいところには行けなくて。
僕が本当に行きたいのは、「ベネチア(イタリア)」!あと、教会が好きなんで、「モン・サン・ミッシェル(フランスの世界遺産)」!と、「サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)」!
PP: ロマンティック!
YY: 行きたいなぁ、と思いつつ、行けてないので(笑)
PP: 是非、ボーナスで。あ、ボーナス(bonus: [おまけ]の意も)で、ひとつ、スポーツファンとしてお伺いしたいことがあるんですけど、
YY: ハイ!
PP: アンソニー・リュー先生について、よく町田選手が囲みの取材で「ジャンプは、『根性(fight)で回して降りて来い』と言われる」とおっしゃってるんですけど、
YY: あー、
PP: でも、そのことを伺う機会もなくて。「今の、根性がないのかな?」と、いつもパンクしてるジャンプを見てて、
YY: うーん、多分、アンソニー先生が言いたかったのは⋯ 踏み切る瞬間にカンペキじゃないことって多々あるんですよ、
PP: でしょうね、
YY: 「アッ!(だめだ!)」って思う時があって、そういう時に、「アッ!」って思いながらも修正して(回転に)持ってくるか・持ってこないか、っていうことじゃないですかね。
PP: 「諦めるな!」と、
YY: そう、
PP: なるほどなるほど、=「根性」で。
YY: 「アッ!」って思ってそのままパンクすることも、ままあるので。
PP: そこで「なんのなんの!」って思えば、
YY: そう、男子のトップ選手とかだと、歪んだ時もそのままガッと回して、不安定ながらも降りて来るじゃないですか、
PP: 見る見る!
YY: そのことだと、僕は思います!(笑)
PP: すごくよく分かりました!ありがとうございました!!
2010-12SP"Dark Eyes" @ 2010 All-Japan
PP: お別れに、現役最後の、皆さんへのメッセージをお願いします。
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► Yukihiro YOSHIDA 吉田行宏選手 @ Kobe Station 神戸駅 on March 21, 2013