
DAISUKE ISOZAKI 磯崎大介選手: projection, text, edit, copywriting (P2), handwriting
& Pigeon Post - Pigeon Post 記者チーム: projection, interview, text, photos|SAKIKO USAMI 宇佐見咲子: photos (2015 SummerCup SP, Kinki Regionals)|OKKO THE PIGEON GUILLEMOT 海鳩オッコ: edit, copywriting (P1)|AIKO SHIMAZU 島津愛子: projection, text, edit, copywriting (P2), design
thanks to: JAPAN SPORTS for "lovely" photos as always
August 12, 2015 in Osaka
2012-13SP"Mas Que Nada" @ 2012 All-Japan
バレエダンサーのようなラインの美しいポージングを見せたかと思えば、眼底まで眩ませるようなアヴァンギャルドなプログラムを滑り、観客を未知の世界へと引きずり込むのが磯崎大介選手(同志社大学)の魅力だ。選曲へのこだわり、根底にあるブリティッシュスケーティングへの畏敬の念が、その演技を作り上げている。16年間のスケート人生を通して彼が描いた肖像はいかなるものなのか。彼がスケート人生の終着点で入れる一筆に、我々は目を離すことが出来なくなる。(Pigeon Post 記者チーム)
☞ P1 ► 磯崎大介を "識る"
Key Word #1: 文武両道
Key Word #2: Ice Ballet Dancer
Key Word #3: British Skating
☞ P2 ► 磯崎大介が "手懸ける"
Work #1: 振付 - 3日ルール
Work #2: 練習 - "More ○○"
Work #3: プログラム - 足跡
PP: スケートを始められたきっかけからお願いします。
DI: スケートを始めたきっかけは姉について行ったからです。僕が5歳の時に姉が先に始めてついて行った形ですね。
始めた時の記憶はないですけれど、話を聞くと「お尻がちゅめたいの~」と言ってすぐ氷から上がってきたらしくて、最初は苦手意識があったのかなと。
Daisuke ISOZAKI
DI: 「シングルアクセルが跳べた」小学2年か3年生くらいからのめり込んでいきましたね。
PP: その辺りから「僕はフィギュアスケートを続けていくんだ、やっていきたいな」と思われるようになったわけですね。
DI: そうですね。もう辞めてしまいましたがその頃同年代のライバルがいたんです。僕は負けず嫌いな気持ちが強かったから、大きな目標を持ちつつも当初は目の前を見て「勝ちたいな、上手くなりたいな」という気持ちが強かったかな。その先に、「オリンピックに出たい」とか「トップに行きたい」という気持ちを持つようになりました。もちろんどの子もそうかもしれないけれど、自分もそういったモチベーションでスケートを続けてきた1人です。
中高生になっても、僕は遊ぶよりもスケートや勉強を続けている人生の方がずっと刺激的で面白かったから、他に気持ちが反れることはなかったですね。
PP: 地元の関東から関西に移られたのはいつですか?
DI: 中学3年生の時から月1ぐらいでここ(臨海スポーツセンター)に通って林先生(林祐輔コーチ)に指導を受けていて、大学から本格的に習おうということで引っ越して一人暮らしを始めました。
PP: 関東と関西で練習環境に違いはありますか?
DI: リンクによって違いはありますけど、関西の方が練習環境は整っていると思います。
川越(川越スケートセンター)で練習していた時は練習時間が少なくて、1日1時間滑れたらいい方ぐらいだし、曲も週に2回か3回ぐらいしかかけられなかったです。ここでは少なくても朝2回夜2回ぐらいはかけられるから、明らかに違います。それぞれのリンクによって差はありますけど、僕は関西に来て、練習量は劇的に増えました。
PP: 1日のスケジュールについて教えて下さい。
DI: まず朝5時に起きて6時から8時まで朝練。朝練では、スケーティングを重点的に練習します。コンパルソリーから始めて、続けてスケーティングのエクササイズをします。その後にスピンやプログラムの動きを確認していきます。
それからすぐ学校に行き授業を受けて、終わり次第即帰ってきて練習ですね。夜はジャンプを入れて追い込んでいきますが、1時間半ぐらい練習して、終わるのが大体9時です。
一人暮らしなので家事を急ぎでやって、11時には寝るようにして次の日に備えます。それの繰り返しです。
Daisuke ISOZAKI @ Rinkai Sports Center
Aug. 12, 2015
PP: オフは?
DI: 土曜日は朝だけなのと、日曜日はオフにしています。時々滑ることもありますけど。
ちなみに、イギリスでも基本的に同じスケジュールを組んでいました(イギリス留学については後程お伺いしています)。イギリスでは毎朝4時起きで5時にバスに乗って6時から8時まで練習。終わったら1時間程離れた学校に通っていました。学校が終わり次第リンクに行き、1時間半~3時間ぐらい滑ります。その後帰宅し、ランニングやトレーニングをした後、夜9時には寝ていました。そうじゃないと持たないので(笑)
PP: 大学とスケートを両立され、文武両道を体現されていますね。
DI: 文武両道というのは自分の指針であって、絶対に崩したくないものでした。どちらも自分にとって大事なものでしたから、両方ともトップのレベルを維持したかったんです。大変でしたけど強い気持ちでやっていました。
PP: それが中学生や高校生の時からぶれることなくずっと続いているわけですね。
DI: はい。
PP: 「スケートを続けていく上で、親友の存在が大きかった」と伺いましたが。
DI: 北海道大学に通いながらスケートを続けている鈴木潤選手なんですけど、彼とは先程言った文武両道という志を小中学生の頃から共有していました。自分が文武両道でいきたいという気持ちを彼に話した時、彼も同じく強い気持ちを持っているのだと知りました。スケートも勉強も刺激し合って切磋琢磨してやってきました。今回こうやって僕のスケート人生を振り返り、『磯崎大介の肖像』というテーマの中で文武両道にも言及したので、彼の存在が自分には欠かせなかったことを伝えたかったです。
PP: 鈴木潤選手とはどういうきっかけで出会われたのですか?
DI: 最初は野辺山の新人発掘合宿です。それ以来ずっと仲良いですね。彼も自分も大学受験の時スケートを休んでいたので、4年間会っていなかったんですけれども、その間も常に応援し合っていました。最高のライバルで親友です。引退しておっさんになっても仲良くしていたいです。
PP: 5歳の頃から16年間スケートを続けてこられた、そのスケートへの思いを教えて下さい。
DI: とにかく勝ちたいという思いで歯を食いしばりながら続けてきました。ノービスの時あと一歩でメダルに届かなかったり、ジュニア時代に強化指定されたのに次の年に外れてしまったり、全日本ジュニアでショート5位になりながらも少しの気持ちの乱れからフリーで崩れてしまい、全日本シニアの切符を逃してしまったり。悔しい思いをたくさん重ねてきました。苦しかったし辛かったけど、一度も勝つことを諦めなかったことは自分の誇りです。ハードなスケジュールや勉強との両立も、諦める気持ちは一切なかったです。
自分の思い描くスケート人生そのものだったかと言うとそうではないけれど⋯充実したスケート人生でした。
もちろん諦めないという気持ちは今も持ち続けているので、「今年こそは!」という想いでやってますよ!
PP: そのスケート人生は、今後スケート以外の面でも生きてくると思われますか?
DI: もちろんです。悔しい気持ちも諦めない気持ちも、どんな道に進んだとしても役立つと確信しています。
PP: 磯崎選手のスケートについてお尋ねします。ご自身の技術的な強み・弱みの双方についてお願いします。
DI: 最も大きな強みはスケーティング、それからスピンですね。
ジャンプに関しては確かにトリプルアクセルなどを持っていないので比較したら弱みになりますが、クリーンにプログラムを決めることで上に行くチャンスはあると思っています。
PP: 磯崎選手のスケーティングは、ご自身ではどのような持ち味だと思われていますか?
DI: 一歩の伸びとか、氷に吸い付くようなスケーティングです。それからターンやステップを基礎に則って正確に行えることにも自信を持っています。
PP: 4回転ループを練習されているそうですね。
DI: 時々練習していますし、試合で決めて見せたい気持ちはあるんですけど、昨シーズン程はこだわってはいません。というのは、昨シーズンを通じて4回転よりも大事なものを見つけたからです。僕はチャレンジ精神が強いので、本当は4回転もトリプルアクセルもどんどん挑戦していきたい⋯んですけどね、フィギュアスケートって形が変わってもコンパルソリーなんですよ。昨年選手生活15年目にしてその競技性に気が付きました。大技をやることもスポーツだから大事だけど、このスポーツって、コンパルソリーから続くように「何度同じ動きを繰り返せるか」っていうのを競うものなんです。プログラムの演技でも、ジャンプを入れても同じように動いて同じように図形を描くことを練習で繰り返し、それを本番でも氷の上に表していくわけです。
4回転が練習で何度でも決まるんだったら入れてもいいと思うけど、今は確実に決まるようになるまでは入れてはいけない。まずは今出来るものを100%毎回出来るようにしよう、と考えるようになりました。だから今はそこまで4回転にこだわってはいないです。これは大西先生(大西勝敬コーチ)から学び取った一番大きなことかなあとも思っています。
PP: オリジナリティーのある磯崎選手のクリエイションについてお聞きしたいです。
DI: 表現・踊りに関してはバレエという基礎が欠かせないと感じているので、そこをかなり重点的に考えています。
振付に関しても話しますね。具体例から入ると、以前ハワイアンをやろうとしていたことがありました。「カネフラ」という男性のフラダンスなんですけど、フラダンスって手話のように踊りにメッセージがあるんですよ。自分がそれを理解しきらない状態で振り付けてしまい、変な意味になってしまったり失礼な意味になってしまってはいけないと思い、結局諦めました。曲を編集する時も、自分の知らない言語の歌詞を無理やり編集しておかしな意味になってしまうと、分かる人にとっては失礼じゃないですか。だから振付では、そういう言葉とか踊りとかで失礼のないように気を配る、ということが大前提にあります。
PP: フィギュアスケート以外で影響を受けられているものはありますか?
DI: クラシックバレエやコンテンポラリーダンスが大好きです。思いつきで曲を選ぶこともありますけど、一番はバレエやコンテンポラリーから影響を受けることが多いです。
PP: お好きな演目について教えて下さい。
DI: Jean Christophe Maillot さん振付の "Cinderella" (The Monte-Carlo Ballet・モナコ公国)と
Christopher Wheeldon さん振付の "Alice's Adventures in Wonderland" (The Royal Ballet・イギリス)
が特に好きです。アリスは2013-14シーズンのフリー(振付:磯崎大介)に使わせて頂きました(演技写真は次ページ冒頭で御覧になれます)。
PP: Twitterのプロフィール欄で Ice Ballet Dancer と謳われていますね。
DI: あれは2つの尊敬と自分の立場を掛け合わせたものです。
まずはスケーティングを極める「アイスダンサーへの尊敬」、次に「バレエダンサーへの尊敬」です。そしてあくまで「自分はシングルスケーターである」という自覚を忘れていません。その3つを合わせてこの言葉が生まれました。
そういう存在でいられたらいいなという期待だけでなく、「自分はこうなんだ!」という気持ちもあります。
I'm a figure skater, but I want to be the one beyond a skater. Also, I'm neither an ice dancer nor a ballet dancer. Then I realized what I am - an ice ballet dancer.
それから僕はジョン・カリーさん(John Curry 1976年インスブルックオリンピック男子シングル金メダリスト・イギリス)が大好きで、彼の「バレエをフィギュアスケートに取り入れた」姿勢を尊敬しているんです。僕も氷上のバレエダンサーになりたいという思いを含めての "Ice Ballet Dancer" でもあります。
PP: エヴァン・ライサチェックさん(Evan Lysacek 2010年バンクーバーオリンピック男子シングル金メダリスト・アメリカ)がジョン・カリーリスペクトという形でプログラムを作ろうとしていたので(2013-14シーズンのフリーは、ジョン・カリー氏がインスブルックオリンピックで金メダルを取った時の曲 "Don Quixote" )、30年近く経っても影響を及ぼしている、この競技における彼の存在というものは大きなものだったんじゃないかと思います。
DI: 彼がスケートを変えましたからね。素敵ですよね。
PP: バレエのレッスンは受けられていますか?
DI: バレエは週に1回通っています。もっと通いたいんですけどね。バレエには学ばなければならない点がたくさんあります。美しさを引き出すための体の使い方、怪我を防ぐための正しい体の使い方、柔軟性を上げるためのトレーニングの仕方もそうです。ただ、フィギュアスケートのためにという思いで始めたバレエですが、最近は純粋にバレエ自体が好きという気持ちでやっていますかね。
PP: ジョン・カリーさんの他に、好きなスケーターはいますか?
DI: ロビン・カズンズさん(Robin Cousins 1980年レイクプラシッドオリンピック男子シングル金メダリスト・イギリス)が大好きです。ブリティッシュスケーティングが大好きなわけです。彼らが永遠にベストスケーターだと思っています。僕のヒーローなんです。
基礎と伝統を大事にしつつ新しいスケートを創り上げた、彼らのような存在になることが僕の夢です。
PP: その「ブリティッシュスケーティングが好きだ」という気持ちがイギリス留学へと繋がっていくわけですね。イギリス留学に至った経緯を教えて下さい。
DI: まずは「イギリスのスケートが最も基礎にある」と考えているのが一点。
そしてスケートだけではなく語学であったり、学生の間にしかなかなか出来ない「異なった文化に触れたい」という想いもありました。また、以前からイギリス人の友人がいたこと、更には、母が学生時代にイギリスに留学していたということもあり、母から「綺麗なイギリスを見せてあげたい」との勧めがあって留学を決意致しました。
PP: スケートに関してイギリス留学で得られたことは何ですか?
DI: スケーティングに圧倒的に磨きがかかったと思います。アイスダンスのコーチの方々(Mark Hanrettyさん、Philip Askewさん、Jimmy Youngさん、Maria Filippovさん)にメインで習っておりましたので。基礎を再確認し、自分に足りなかったものを補って来ました。
シングルの先生方(Peter Morrisseyさん、Christian Newberryさん)にももちろん習いました。とても分かりやすい教え方でジャンプがかなり良くなりましたね。
クリスチャンさんの息子さんたちはジャンプがとても上手なんですよ!!
そして最後に憧れのロビン・カズンズさんからもレッスンして頂けるチャンスがありました!
Robin COUSINS, Daisuke ISOZAKI 2015
DI: たくさんの先生方から skating philosophy を学ぶことで自分の skating philosophy が変わりました。
PP: どのように変わったんですか?
DI: 元々持っている自分の「スケーティングはこうだ」「スケートの体の使い方はこうだ」というスケート像に、彼らの考え方・魅せ方を足していったんです。そうして自分の新たなスケートが出来上がってきました。
PP: スケート以外の面でイギリス留学から得られたことはありますか?
DI: 人間的に成長しましたね。柔軟になったし、度胸もつきました。
文化も考え方も全く違ったので最初は辛かったですけど面白かったです。右も左も分からない状況って、日本で暮らしていてもそんなにないじゃないですか。はじめは、もう大人だから言葉が分からなくてもなんとかなるだろうと甘く見ていたんですけど、なんともならなかったです(笑) 毎日迷子になり泣いていました。話さないと死ぬので必死になりました。必死になったおかげで英語は劇的に成長しました。また、郷に入れば郷に従えということで文化に対する適応力、柔軟性がついたと考えています。
それからロンドンで、ダンス、オペラ、ミュージカルなど、いろいろな舞台を観に行きました。教養が高まり、刺激もたくさん受けて来ました。
PP: 観劇された演目とその感想を教えて下さいますか。
DI: いくつか紹介しますね。
ダンスは "Contact" と "The Car Man" を観て来ました。
"Contact" (Compagnie DCA) はカンパニーの主宰者で振付師の Philippe Decouflé さんという方が手掛けたコンテンポラリー作品です。衣装、色合い、ダンサー、振付、どれも好みでした。
バレエ "The Car Man" (The Company of Matthew Bourne) はですね、音楽はカルメンなんですが、タイトルが「車 男」なようにストーリーは異なります。流石 Matthew Bourne さんの振付と申しますか、斬新でこんな表現があるのかと衝撃的でした。
オペラはロイヤルオペラハウスで "Don Giovanni" (The Royal Opera) を観て来ました。初めてのオペラだったのですが、ストーリーも分かりやすく、英語の字幕もあったので楽しめました。照明などにも工夫が凝らされていて、耳だけでなく目でも愉しめる舞台でした。オペラ、いいですね。
取材メモ
2015年8月12日 @ 臨海スポーツセンター
インタビュー後、リンクサイドで約20分の入念なアップをされていました。氷に乗り、最初に磯崎選手の持ち味であるスケーティングをじっくりと練習。ジャンプは2Aから始め、1種類ずつ集中して練習した後、SPの曲かけ。拝見するのは2度目でしたが、見る度に良さを発見出来そうなプログラムだと思いました。練習後には若い選手が話しかけてきました。スケーティング哲学を語る真剣な眼差しとは対照的に、リンクでは優しい兄貴分でした。(Pigeon Post 記者チーム)